来歴
やすしの息子≠ゥら人気タレントへ
幼少の頃よりバラエティ番組にたびたび出演(多くが父と共演)する。花王名人劇場などで西川きよしの次男西川弘志とコンビで漫才を披露したり、パソコンのテレビCMに出演していた。中学校卒業後に俳優となる。テレビドラマの『毎度おさわがせします』(1985年、TBS)の主役として中山美穂と共演して人気を得て、映画「シャコタン・ブギ」(1987年)でも主役を演じた。さらに1986年1月には「オレたちだけの約束」で歌手デビューし、人気歌番組の「ザ・ベストテン」(TBS)の「スポットライト」のコーナーにも出演。この際、司会の黒柳徹子の「武勇伝があるそうで」という問いに、「『大阪もんが!』と言ったヤツをボコボコにした」とコメントした。やすしは「親の七光りでも何でも使ったらいい」と公言していたが、「人気芸能人の息子」という背景だけではなく、恵まれた風貌や不良っぽい言動などで、人気、知名度ともに一気に高まった。
運転手暴行事件、吉本解雇
1988年11月、俳優として順風満帆だった19歳のとき、タクシー運転手への暴行により傷害容疑で逮捕された。仕事仲間(タレントの相楽晴子も含まれていた)との飲酒後、六本木の路上でタクシーを停めようとしたが、乗車を拒否されて立腹。直後に停車した(乗車拒否した車両とは違う)タクシーの、全く非のない運転手を脳挫傷に追い込むまで暴行した。これは横山やすしや吉本興業をも巻き込む大事件となり、一八は「こいつが死んだら俺がムショ(刑務所)へ行ったらええんやろっ!」と叫んだと報じられた。
父親のやすしは、暴行事件報道直後にマスコミの取材を受け、「教育方針が間違っていたのではないか」と質問してきたテレビ局の女性レポーターに対し、「ちょっと待てや姉ちゃん。ワイの教育が間違っとるわけないやろ」「男は喧嘩するぐらいが丁度ええ」と逆に開き直った。しかし、このやすしの態度に被害者の父親が怒りをあらわにし、マスコミの報道が厳しくなると、「自分の教育が間違っていた」と号泣して謝罪した。これはやすしが当初は「一八が傷害事件を起こした」程度しか知らなかったためとも言われている。
事件当時、一八は未成年だったが、スポーツ紙やワイドショー、週刊誌などは実名で報道した。吉本興業は一八を懲戒解雇し、出演中のドラマ(疑惑の家族)から降板させる(結局その番組は途中終了となる)。その後、少年院送致となり、一時的に芸能活動を自粛となった。被害者のタクシー運転手への損害賠償は吉本興業が代わりに弁済したが、やすしが飲酒運転で解雇されたため、吉本はやすしに弁済分の支払いを請求するも、やすしの死後に請求を取り下げた(吉本の社員でやすし・きよしの元マネージャーだった木村政雄は、「亡くなった方から取り立てるわけにはいかんので」とコメントしている)。
芸能界復帰・吉本復帰
成人後、一八はバーニングプロダクションを経て哀川翔の事務所に所属する。事件の影響でテレビ出演は控えられたが、多数のVシネマに出演した。25歳の時には傷害容疑で再び逮捕されている。2001年、吉本興業に復帰する。
吉本から独立・銃刀法違反逮捕
2003年末で吉本興業を辞め、2008年現在PowerMに所属。
2006年3月8日、無許可で日本刀を自動車に隠していたとして警戒中の警官に発見され銃刀法違反により現行犯逮捕(3月27日に釈放)。この時、住む家すら無く友人宅を転々として暮らしていたと報じられた。
高須基仁と共に高橋祐也(三田佳子の次男)とサイゾー誌上で対談した。
2006年12月、女優の石原真理子の自叙伝「ふぞろいな秘密」に、「競艇好きだった関西の大物漫才師を父に持つ俳優K・K」という表現で、性的関係があった男性の一人として記述された。
タグ:木村一八

