2009年08月10日

相武紗季(女優・タレント・声優・芸能人 アイドル 日本・映画関連)

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相武 紗季(あいぶ さき、1985年6月20日 - )は、兵庫県宝塚市出身の日本の女優、アイドル、タレント。所属事務所はボックスコーポレーション。愛称は「アイブー」、「ぶっちぃ」、「さきっちょ」、「相武ちゃん」、「サキサキ」。親しい友人からは『ぶってぃー』と呼ばれている。身長は165cm。血液型はO型。スリーサイズはB84W57H87。

母は宝塚歌劇団卒業生(62期)の朱穂芽美(1976年入団、1982年退団)。姉は宝塚歌劇団87期生で星組娘役の音花ゆり。


来歴・人物
地元の中高一貫教育校である雲雀丘学園中学校・高等学校に通学していたが、高校球児に会いたくて2002年の夏に朝日放送の「夏の高校野球PR女子高生」に、およそ1,000人の応募の中から選ばれた。そのPRが地元でTV放送されていたのを現在のマネージャーが帰省中に目にしたことから、スカウトされて芸能活動のため東京へ。日出高等学校に転校(同じプロダクションに所属する石川佳奈、上野なつひ、塚田綾子が同級生となっている)し、翌2003年に芸能界デビューした。

2004年からCMに出演している「ミスタードーナツ」(ダスキン)では、タカアンドトシ(その後降板)とのコミカルな掛け合いが話題となり、人気を得る契機となった。その一方で女優業にも進出し、『17才夏。 屋上ガールズ』(朝日放送)、シナリオ登竜門大賞受賞作『なつのひかり。』(日本テレビ系)などの単発ドラマでは主演経験を積んだ。NHK総合「よるドラシリーズ」の新規作品最終作となった『どんまい!』では連続ドラマ初主演を務め、ブレイクの大きな要因となった。これ以降「CM女王ランキング」等に名を連ねている。

2005年以降は声優にも挑戦し、アニメ映画『まじめにふまじめ かいけつゾロリ なぞのお宝大さくせん』、映画『ドラえもん のび太の新魔界大冒険 7人の魔法使い』ではヒロインの声を務める。準主役クラスで出演したドラマ『アテンションプリーズ』(フジテレビ系)が縁になって起用された日本航空 (JAL) の「先得割引」では、ボーイング777-200の3機の胴体に客室乗務員姿の巨大写真がラッピングされた。JALの機体に女性芸能人がプリントされたのは彼女が初である(ちなみに男性ではGLAYの4人が最初)。

出身は関西だが、父親が大の巨人ファンであるため「自分もどちらかと言えば巨人ファン」と公言している。大の高校野球ファンでもあり、甲子園ガールを務めたこともあるほどの野球好き。


エピソード
「相武」という名字は珍しく、よく芸名と間違えられる。
特技は、小学校から高校まで続けていたシンクロナイズドスイミング、競泳(平泳ぎ)。
競泳(平泳ぎ)は、中学生時代、宝塚市の大会で1位になった事がある。中学・高校では、水泳部で副部長を務め、“鬼の副部長”として恐れられるほど、後輩を厳しく指導していた。また、練習メニューを作成していたという。
シンクロにおいては、オリンピックで見た小谷実可子に憧れて始め、一時期は選手を目指すほど打ち込み、宝塚市の代表を務めた事もあるが、将来、オリンピックに出場出来ない事を思うようになり、中学3年生で断念。それ以降は、前述の競泳に打ち込んだ。
小学5年の頃から、本格的に始めた水泳で鍛えた身体は筋肉質だが、陸上競技は苦手。ただ、持久力には自信を持っている。
ドラム演奏は、中学生時代に父親の影響で始めている。一部雑誌インタビューの手違いで学園祭でバンドを組み演奏したとされているが、実際は計画止まりであった。2005年に公開された映画『ビートキッズ』や、2006年に放映された明治安田生命のCM内で、その腕前を披露している。
好きな芸人は、チュートリアルの福田充徳であるとテレビで公言している。福田とは、何度かテレビで共演を果たしたり、ハワイの空港ですれ違った事もある。
B'zとボン・ジョヴィ、SPEEDのファンである。
趣味は、読書。特に、ミステリー小説を愛読している。好きな作家は宮部みゆき、恩田陸、伊坂幸太郎など。その他の趣味は、音楽鑑賞、料理。特に料理は、テレビのバラエティ番組で数々披露しており、ぶり大根が得意だという。
自ら酒好きを公表しており、お気に入りのお店は、ダーツバーと焼き鳥屋。
男子高校生や男子大学生にかなり人気がある。理想のタイプとして選ばれることが多い(2006年6月19日放送の芸恋リアル(読売テレビ制作・日本テレビ系)で発表された、「全国一万人大調査 恋人にしたい女性ランキング」では第4位にランクインした)。
ペットは、希少犬のボロニーズ(メス)。名前は『みゅー』。2006年9月に飼い始めた。
高校2年生の頃にスカウトされ、上京を決心した時、父親から「中学から一緒の友達と卒業出来なくていいのか?」と言われ、説得するのに時間がかかったという。
家族と離れて暮らすようになって以来、毎年父親に手編みマフラーをプレゼントしている。
座右の銘は、地元を離れる際に親友から送られた言葉、「幸せの雨が降りますように」である。
小雨の中、傘を差さずに少し濡れながら歩くのが好き(ブログより)。
写真を撮られるのが苦手なよう(スタッフブログより)。
ボックスコーポレーションの公式携帯サイトで、ほぼ毎日ブログを書いている。

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大原麗子(女優・声優・音楽関連・芸能人 俳優 日本・映画関連)

大原 麗子(おおはら れいこ(=本名同じ)、1946年11月13日 - 2009年8月3日[1] )は日本の女優。

来歴・人物
東京都文京区出身。北豊島高等学校卒業。血液型はAB型。

1964年、ドラマ『幸福試験』(NHK)でデビュー。翌年、東映に入社。佐久間良子主演の『孤独の賭け』が本格的な映画デビュー作[2]。

以後、高倉健の『網走番外地』シリーズや梅宮辰夫の『夜の青春』シリーズをはじめ数々の映画に出演。映画『男はつらいよ』シリーズでは、マドンナ役を2度務めた。テレビでも幾多のドラマで主演をこなし、“好感度No.1女優”の地位を得るに至る。

「すこし愛して、なが〜く愛して」がキャッチコピーの「サントリー レッド」のCMが一世を風靡。レコードも数枚リリースしている。

1973年9月、俳優の渡瀬恒彦と結婚したが、1978年2月離婚。1980年6月、歌手・森進一との2度目の結婚も、1984年破局に至る[3]。表舞台での栄光とは裏腹に私生活は必ずしも恵まれなかった。

1999年から2000年にかけてギラン・バレー症候群の治療のため、芸能活動を一時休止。所属事務所は長年に渡り「オフィス・アール」であったが、晩年は「ワンポイント」に属していた。

2008年11月、自宅で足元がふらついて転倒。右手首を骨折し、ひざを打撲する重傷を負った。ギラン・バレー症候群の影響で身体のバランスを崩したものとみられている。

2009年8月6日、連絡が取れず不審に思い警察に通報していた実弟らによって、自宅で孤独死しているのが発見された。行政解剖の結果、同年8月3日に死亡したことが確認された[1][4] 。事件性はないとされ、死因は不整脈による内出血のためと診断された[5] 。

晩年は母親の介護や自身の療養で公の場に姿を見せる機会はめっきり減ったが、俳優仲間にはちょくちょく電話をかけ、ドラマなどを観た感想を語っていたという[6]。


出演作品

[編集] 映画
孤独の賭け(1965年、東映) - 乾美香
網走番外地 北海篇(1965年、東映)[7] - 弓子
非行少女ヨーコ(1966年、東映) - アコ
男なんてなにさ(1966年、東映) - ミキ  
ドリフターズですよ! 前進前進また前進(1967年、東宝) - ミッコ
喜劇 急行列車(1967年、東映) - 遠藤洋子
不良番長(1968年、東映) - お豊
三匹の牝蜂(1970年、東映) - 美奈
座頭市あばれ火祭り(1970年、大映) - お喜代
大幹部 ケリをつけろ(1970年、日活) - 葉子
奇妙な仲間 おいろけ道中(1970年、東宝) - 矢津子
喜劇 トルコ風呂 王将戦(1971年、東映) - 佐々木礼子
湯けむり110番 いるかの大将(1972年、東宝) - 豆千代
喜劇 黄綬褒賞(1973年、東宝) - チエ
獄門島(1977年、東宝) - 鬼頭早苗
柳生一族の陰謀(1978年、東映) - 出雲の阿国
火の鳥(1978年、東宝) - ヒナク
男はつらいよ 噂の寅次郎(1978年、松竹) - 荒川早苗
セカンド・ラブ(1983年、東映) - 日向一実
居酒屋兆治(1983年、東宝) - 神谷さよ
おはん(1984年、東宝) - おかよ
男はつらいよ 寅次郎真実一路(1984年、松竹) - 富永ふじ子
新・喜びも悲しみも幾歳月(1986年、松竹) - 杉本朝子
源氏物語(アニメーション映画、1987年、日本ヘラルド映画) - 藤壺の宮(※声の出演)

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2009年08月05日

はるな愛(女優・司会者・MC・歌手・アーティスト・タレント・お笑いタレント・音楽関連・映画関連・芸能人 お笑い芸人)

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はるな 愛(はるな あい、1972年7月21日(自称は1976年7月21日[1]) - )は、サンズエンタテインメント所属のニューハーフタレント、お笑いタレント、歌手、女優、実業家。エンジェル・ラブ株式会社代表取締役。


来歴・人物

物心ついた頃から自分が女性だと意識していたという。小学生時代から、女装してものまね番組などに出演。その際の字幕スーパーでは「大西賢治」(本来の字は賢示[2])と表示される。持ち歌は松田聖子の「Rock'n Rouge」など。1985年3月3日放送の『全日本ちびっこ歌まね大賞』(テレビ東京)では、森進一の「北の蛍」を歌って優勝している。

1989年、福井県の九頭竜湖で行われた英語学校の夏季キャンプ(小学生向け)で、未来派少年大西賢示としてリクリエーションにゲスト出演している。この際に、男子高校に通っていたことを話している。また、同年5月25日には大西ケンジとして「チャンス」でレコードデビューを果たしている[3]。

中学生時代はいじめに遭っていた。いじめっ子から避ける為に、ギリギリまで登校しなかったり、昼間は喫茶店にいたりしていた。また、いじめっ子から避ける為に、いじめから守ってもらう代わりに不良グループのパシリであったという。この経緯から勉強はほとんどしておらず、中学時代の成績は悪かったという。このころからニューハーフになろうと思っていたという。また、弟がはるなのタンスの中身が気になり開けてみると、女性物のカラフルな下着が数枚入っているのを見つけたことから、弟はこの頃から、兄が女性になりたいという気持ちがあることは知っていたが、親には話さなかったという。

高校を中退後、しばらくして、1991年、ショーパブ「Tootsie」梅田店で働く。父親に性同一性障害であり、ニューハーフとして働いていることを告白。

1995年、大阪市・わだ形成クリニックにて性別適合手術を受け、身体的に完全に女性となった。しかし、戸籍上の名前は現在も「大西賢示」のままである。これは、「男性と結婚するまで大西賢示でいることが親孝行だ」からだという[4]。声に関しては、元々は女性アイドルの曲を原曲キーのまま歌え、話声も女性と同じ高さだった。しかし、度重なる酷使の為に声帯にポリープが出来てしまい、一時期声が出なくなってしまった。その影響により、かなりのかすれ声である(ネタとして男声を出すこともあるが、素で歌うと男声になってしまう)。また、『上岡龍太郎がズバリ!』でMr.レディーに出演し、「家なき子」のパロディー版「玉なき子」で相沢すずの役を演じた。

1996年頃、春菜愛名義で、『快傑えみちゃんねる』(関西テレビ)にレギュラー出演。以後はアイドル系美形ニューハーフとして、テレビ番組のニューハーフ特集やものまね番組に顔を出している。また、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ)などにも出演し、メディア露出が多くなる。素人扱いとしては、『ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャーこれができたら100万円!!』(テレビ朝日)のファイナル電流イライラ棒に一般のチャレンジャーとして登場している(チャレンジ中、アナウンサーから「実は男性です」と紹介された)。

1998年、東京のタレント事務所に所属、上京。DDTプロレスリングで世界初のニューハーフ・マネージャー・デビュー。この頃の芸能界はニューハーフブームが下火となっていた為にタレントとしての活動はほとんど出来ていない。だが、男性であることを隠して働いていたレースクイーンの仕事などで蓄えた貯金でスナック店を開業するなど、事業家として活躍するようになる(現在は、バー1店、鉄板焼き店を2店経営している。鉄板焼き店を経営しているのは、実家が以前お好み焼き店を経営していたことがきっかけ)。

2005年、MEGUMIが恥骨骨折で入院した際、病院で献身的に看病をしたことから野田社長の目に留まり[5]、サンズエンタテインメントに移籍。現在の名義に変え、タレント活動を再開する。

2007年、陣内智則・藤原紀香夫妻の結婚披露宴の2次会で「エアあやや」を披露、その場に居合わせた業界人の注目を集め、モノマネ芸人(あてぶり芸人)として活動するようになる。持ちネタは、松田聖子・松浦亜弥・島谷ひとみ・ビヨンセ・藤本美貴・ホイットニー・ヒューストンなどのモノマネと、横向けにしたVサインを目頭から目じりに移動させて「よろしくピース」などのギャグ。口癖は「言うよね」[6]。最近はそれを始めとして、いろいろな「○○よね」を言うようになっている。

2007年、『ミス・インターナショナルクイーン(MissInternationalQueen)2007』(ニューハーフ世界のミスコン)に出場し、第4位になる(このコンテストにでるため、審美歯科的治療をしている)。

2008年、下半期頃から大ブレイク。骨髄バンク職員の役で舞台『IMAGINE 9.11』に出演。

2009年、1月3日に放送された『週末のシンデレラ 世界!弾丸トラベラー』(日本テレビ系)にてパスポートが映った場面で、一部ぼかしがかかっていなかったため1972年7月21日生まれであることが発覚した。この事実を2009年1月20日発売の『週刊女性』(主婦と生活社)ではるな本人が認めた(下記を参照)[7]。


エピソード

はるなを女性と勘違いしたほっしゃん。にプロポーズされたことがある[8]。最終的に、ほっしゃん。に実名入りの免許証を見せて断った(その時ほっしゃん。は「今は、彼氏の名前で免許証を作ることができるんや!」と、はるなが男であることをすぐには理解できず、錯乱した)。そのエピソードがあるため、ほっしゃん。とはるなが共演する仕事がしばしばあり、現在は友達である。中山秀征の結婚式の4次会で初めて志村けんと会った際、はるなは志村から女性と勘違いされナンパされた[9]。中山秀征からは、共演番組内で「賢示君」と本名で呼ばれることがあり、その際、「本名・大西賢示」とテロップ表示されることがある。

小学生時代、女装して松田聖子の歌まねで大阪の番組に出た際にその司会を務めていた島田紳助に対面し、「将来ニューハーフバーを経営してそう」などと言われたことがある。島田は当時のことを覚えていたが、それが現在のはるなだとは分からず「どこかで見たことがある」と思った程度で、その後『開運!なんでも鑑定団』(テレビ東京)にゲスト出演した際、当時のテレビ映像が出て、はるなが当時の少年だと分かったとのこと。

『クイズ!ヘキサゴンII』(フジテレビ)の1コーナー「仲間を救え!底抜けドボンクイズ」で、女性は通常赤ジャージに着替えてから水落ちするのだが、はるなは例外的に衣装のワンピースで水落ちしたことがある(ただし水落ち後は赤ジャージに着替えた)。

陣内智則・藤原紀香と仲がよく、自宅の合鍵を預けられるほど信頼されている。ブレイクする以前は当時の夫妻の留守中に掃除や留守番をすることも多かった。あまりにも頻繁に通っていたので「陣内が藤原の留守中に女性を自宅に招き入れている」という噂が、週刊誌の記者達の間で流れたこともある。また、陣内が帰宅すると、紀香とはるながお風呂に入っていたこともあり「複雑な思い」と語っていた。 高所恐怖症でもあり、「ヘキサゴンU」や「DOORS 2008」でも挑戦前に泣きわめいたりするほどの怖がりである。
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押尾学(俳優・歌手・アーティスト・芸能人 俳優 日本・映画関連)

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芸名 押尾学
フリガナ オシオマナブ
誕生日 1978年5月6日
星座 おうし座
出身地 東京
性別 男性
血液型 A型
身長 184cm
デビュー年 1998年
デビュー作品 愛、ときどき嘘 (日本テレビ)
趣味 写真を撮ること バイク サッカー
特技 英語
代表作品 春ランマン (フジテレビ)(2002)
ダブルスコア (フジテレビ)(2002)
クニミツの政 (フジテレビ)(2003)
里見八犬伝 (TBSテレビ)(2006)

ジャンル別作品 CDアルバム
Manifest
CDシングル
game/me against myself/キンモクセイ LOVE YOUR LIFE
テレビ
里見八犬伝 夢で逢いましょう クニミツの政
映画
KARAOKE-人生紙一重- 苺の破片
posted by タレントくん at 18:30| Comment(0) | 俳優 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

酒井法子(女優・歌手・アーティスト・声優・音楽関連・芸能人 俳優 日本・映画関連)

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酒井 法子(さかい のりこ、本名:高相(たかそう)法子(旧姓酒井)、1971年2月14日 - )は、日本の元アイドル歌手、女優。堀越高等学校卒業。所属事務所はサンミュージックプロダクション。所属レコード会社はビクターエンタテインメント。福岡県福岡市出身。血液型はB型。


来歴
福岡市に生まれるが、家庭の事情により小学校時代の6年間を埼玉県狭山市で過ごす。6年生の3学期に帰郷して福岡市立大名小学校を卒業。福岡市立舞鶴中学校ではソフトボール部に所属し、3年生になった(クラスは3組出席番号は33番)1985年の夏に9番ライトで県大会準優勝を果たした。

1985年10月26日の「'86ミスヘアコロン・イメージガール・コンテスト」(資生堂主催)でBOMB!賞を獲得(グランプリは水谷麻里、準グランプリは岡谷章子、Momoco賞は畠田理恵が受賞)。当初このコンテストにBOMB!賞なる賞は存在しておらず、実際にはオーディション落選後に、サンミュージックの専務が「『彼女の』才能を試してみたい」、と願い出たことでデビューの運びとなった[1]。BOMB!賞はその際に急遽新設され、11月22日付で贈られている。

同年12月、福岡市から上京し、所属事務所の社長である相澤秀禎宅で下宿生活を始める(福岡市立舞鶴中学校から東京の中学へ転校)。

1986年1月開始の日本テレビ系のテレビドラマ『春風一番!』でデビュー(収録は前年の1985年12月から開始されているので、芸能活動は上京直後からになる)。ほぼ同時に雑誌『Momoco』の「モモコクラブ」のメンバーとなる(桃組出席番号1482番)。その後、4月29日のイベント「'86 MOMOCO PARTY」において開催された「第2回ミスモモコクラブ」オーディションでミスVHD賞を受賞(この時のグランプリは畠田理恵)。これにより当時売り出し中だったビデオディスクであるVHDソフトの発売が決まり、11月21日、『YUPPIE』で世界初のVHDデビューを果たす。このVHDの挿入歌「お願いダーリン」を非公式のデビュー曲とする見方もあるが、正式なレコードデビューは1987年になってからである。同期にBaBe、坂本冬美らがいる。

レコードデビューすると同時に若者を中心に人気を獲得。3枚目のシングル「ノ・レ・な・いTeen-age」で、その年の第18回日本歌謡大賞最優秀放送音楽新人賞を受賞する(同年の第29回日本レコード大賞の最優秀新人賞は立花理佐が受賞)。

キャッチフレーズは「おきゃんなレディ」。デビュー当時のニックネームは「のりっぺ」(福岡での中学生時代のニックネーム)だったが、デビューしてしばらく経ってから「のりピー」と名乗り出す。同時に「ヤッピー」「いただきマンモス」「うれピー」といった、「のりピー語」を流行させた。

アイドル時代の活動は多岐に渡る。芸能活動のほかにイラストレーター・漫画家(ペンネームは平仮名の“さかいのりこ”)としても活動し、少女漫画雑誌『週刊少女コミック』に漫画の連載を持ったこともある。中学生の頃に自ら生み出したというキャラクター「のりピーちゃん」は、日本自動車工業会の交通安全ポスターにも使われた。また、そのキャラクターグッズも自身のショップ『NORI-P HOUSE』で販売されて人気を博し、当時のタレントショップブームの一翼を担っていた。

1990年代以降、東アジア(台湾、香港、中華人民共和国など)では日本での活躍以上の絶大な人気を誇り、中国語歌唱による楽曲も発表している。1992年5月10日と11日に行われた自身初の海外公演である台北市立総合体育場でのコンサートは、台湾における日本人初のワンマンショーとなった。

その頃から女優としても本格的な活動が始まり、フジテレビ系『ひとつ屋根の下』、日本テレビ系『星の金貨』など、出演したテレビドラマが大ヒットすると同時に、『星の金貨』の主題歌として自ら歌った『碧いうさぎ』がミリオンセラーとなり、1995年、デビュー9年目にして『第46回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たした。歌唱曲がドラマの主題歌だったこともあり、紅白史上初めて手話を交えて歌った。

1998年にプロサーファー・高相祐一とできちゃった結婚。プロサーファーと言っているが日本プロサーフィン連盟・JPSAの公認プロとして、一切エントリーされていない。また、世界プロサーフィン連盟日本支局・ASP Japanのランキング一覧にも高相の名前を見つけることはできない。

1999年7月18日、長男を出産。現在は1児の母。

2000年に産休から復帰したが、デビュー当時からの担当マネージャーだった溝口伸郎が自殺。

その後、子育てと女優活動を両立しながら2003年にはファッションブランド『PP rikorino』を立ち上げるなど、現在もマルチに活動している。

夫の高相祐一が2009年8月2日に渋谷区内で覚せい剤取締法違反の現行犯で警視庁に逮捕された[2]。


エピソード
1990年代半ば以降、趣味としてマリンスポーツ(ボディボード)を楽しむようになった。
夫は木梨憲武からの紹介[3]。夫はスキーショップ『JIRO』経営者の長男(後継者)であり、同チェーンショップの役員でもある。
後年、「のりピー語は20歳を越えた頃から似つかわしくないと思うようになった」と本人がテレビ番組で語っている。当時の事務所社長の相澤秀禎も「のりピー語」は酒井を売り出すための戦略であったことを自著で明かしている[1]。最近ではエドはるみが当時を懐かしむようにのりピー語を使っている。
フジテレビ系『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』の「テレフォンボックス」のコーナーに出演の際、嵐の大野智ファンで(その理由は“踊りも歌もうまいから”)、コンサートにも行った旨を発言した。
posted by タレントくん at 18:29| Comment(0) | 女優 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月03日

後藤麻衣(女優・タレント・芸能人 モデル 日本・映画関連)

芸名 後藤麻衣
フリガナ ゴトウマイ
誕生日 1977年10月16日
星座 てんびん座
出身地 東京
性別 女性
血液型 O型
身長 164cm
デビューのきっかけ クラリオンガール準グランプリ受賞がきっかけ
趣味 旅行
ジャンル別作品 DVD
BELLAGIO COBRA 華麗なる…
Vシネマ
銀鮫 くノ一忍法伝 美悪の華 暴力商売
テレビ
熱中ホビー百科 トゥナイト2 後藤麻衣のワインが好き
映画
殺し屋1 銀狼の群
写真集
Last Tango嶋村かおり×後藤麻衣
posted by タレントくん at 23:12| Comment(0) | 女優 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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